Short essay series: 2
バフチンの笑いとグロテスクな躍動(1)
1.10.2021 Sakai Tomoko
1.10.2021 Sakai Tomoko
「きたない」ということ
「きたない」とは、どういうことなのか。
研究会の出発点のひとつは、この単純な問いである。
誰もが感じたことのある感覚であり、発したことのある言葉である。わたしたちはみな「きたない」がどのような事柄なのかを、説明されずとも知っているはずなのだ。
けれども、自明のもの、あるいは「直感的」であり「生理的」とされているからこそ、この問いにはっきりとこたえることは、思いのほか難しくはないだろうか。
さらに、どうやら「きたない」という言葉には相互に重なり時にはズレるさまざまな意味があり、文脈に応じて異なる含みを帯びるようなのである。
まず、乱雑であり散らかっている、という意味がある。まとまっていない、あるいは整頓されていない感じ、すなわち秩序の対極に向かうような方向性である。
そして、不潔である、という意味がある。身体や、身体に直接ふれうるものに対しての意味で、放っておくとどこかが化膿したりバイ菌の繁殖が起こるのではないかと思わせるような「きたなさ」であり、ここでは身体への悪影響が意識されているといえるだろう。悪臭を放っていたり粘り気を持っていたり、湿っているイメージもある。
さらに、下品であること、ふるまいや所作が粗暴であること。「きたない言葉づかい」と言うときの「きたなさ」がこれで、階級や階層の社会ヒエラルキーを背後にもつような、品格にかかわる価値観に関連した表現といえる。ここに「卑猥な」という性的な意味が込められることもある。
そして、卑怯である、公正ではない、といった、行為や性格の特定の性質をあらわす意味がある。
ざっと見たかぎり、「きたなさ」にはこれら多様な意味がある。このうちのあるものは、別のものから派生したのかもしれない。概念的には同じ源をもつのかもしれない。そうした系譜の探究も必要だろう。
加えて、非常によく似た、関係の深い表現に「よごれた」がある。これはきたなく「なった」という状態変化をふくんだ語である。つまり「よごれたA」という表現は、そのAがかつてよごれていない状態にあったことを仄めかしている。言い換えれば「よごれ」と対象物Aとを分離しうるものと想定していることになる。いっぽうで「きたない」は、そうした場合のみならず、きたなくない状態が想定しえないものについても使いうる語である。「よごれた服」という表現は普通にきくが、「よごれた糞」という表現は一般的でないということである。
また、「きたない」と関連の深いものとして「醜い」や「不快である」がある。多くの場合、きたなさは醜さであり、不快感をも喚起する。けれども清潔である(「きたなく」ない)が醜いものや、不快であるが「きたなさ」とは関係ない感覚を、わたしたちは思い浮かべることができよう。これらの概念や語について、「きたない」との重なりとズレがどこでどのように生じているかを考えていくことが、重要な作業となる。
一般的にいえば、「きたない」という表現が用いられるとき、そこには否定的な意味がつきまとう。積極的に近づきとりいれるべきものというよりは避けたいものに向けられる言葉である。けれども第一素描において見たように、何かが「きたなく忌避すべきもの」と見なされる時には、往々にして社会的、政治的な力がはたらいている。危険であるはずの「きたない」ものが、とても重要な何かを人や社会にもたらすこともある。
だから、「きたなさ」を掘り下げていった時に浮かび上がるイメージのネガティブさは、けして動かしえぬものではなく、社会や視点が変われば感触を変えていくイメージであり経験であるということを、あらためて強調しておきたい。
「生理的」「直感的」なものとされる「きたなさ」「よごれ」が、道徳的あるいは政治・社会的な意味をもって使われるのは、どのようなしくみによるものなのか。「きたない」という概念と感覚は、物質的な(つまりは「モノ」にかかわる)次元にどのように根ざし、どのような身体経験であるがために、社会的・政治的な背景とはたらきをもつのか。自明のごとく用いられる「きたない」の内部を掘り下げ腑分けしていくことで、これらの問いの答えも浮かび上がってくることだろう。
今回の素描では、「グロテスクなるもの」を見ていきたい。とくに焦点をあてるのは、ソ連の文芸評論家ミハイル・バフチンが描き出した、中世からルネッサンスにかけてのヨーロッパ民衆文化におけるグロテスク・リアリズムだ。この「グロテスク」においては、肉体性、とくに消化や排泄や性といった、人の生から切り離せないけれども通常は「醜い」もの、「きたない」ものとして隠されているような肉体の領域が、世界観の中心をなしていたという。そこにおけるグロテスクは、ものごとの分類や自己と他者の境界をたえまなく侵食しつづけるものとして描き出されている。
もし第一の素描で記したように「汚穢」が無秩序なもの、境界的なもの、分類体系をおびやかすものであるとするならば、「グロテスクなもの」とは汚穢についての考察を深めるための大きな助けになるように思われるのだ。
諸星大二郎「生物都市」27p、『自選短編集 彼方より』(集英社、2004年)所収
絡み合いと融合――古代ローマのグロテスク文様
漫画家・諸星大二郎に「生物都市」という作品がある。
1974年の作品である。舞台は日本のどこかの街だ。宇宙のあちこちとの行き来が日常的におこなわれているようで、「宇宙空港」なるものが登場するから近未来ということになる。ある日、木星の衛星イオから調査船が戻ってくるが、ようすがどうもおかしい。ハッチを焼き切って開くと、内部では乗組員が機械と一体化し、顔や手が壁に埋め込まれたようになっていた。その様子を撮影しようとした記者の手はカメラと癒着してしまい、記者がもたれかかったドアもまた、形がくずれて人と一体化してしまう。人が金属や機械と融合するその症状は、接触を通じて、あるいは電話線や水道管や、あらゆるものを通じて感染を広げていく……。
人間が生物・非生物問わず、周囲のあらゆるものと融合し、個人の境界も失われて一個の巨大生物となっていくこのモチーフは、実は「グロテスクなるもの」として15世紀以来、多くの想像力をとらえてきたイメージでもある。
ひょっとすると、これは「グロテスク」という語の現在の一般的イメージからズレるように思われるかもしれない。多くの人がこの語から思い浮かべるのは、人体がひどく破壊され血と内臓が飛び散るような、暴力的で痛々しいイメージかもしれない。最近は「グロい」という言葉も広く使われるが、たとえば「グロい映画」といったときにはたいてい恐怖映画をさし、とくにスプラッター・ムービー、あるいは残虐さや猟奇性を特徴とする作品が取り上げられる。
この日本語の「グロ」のイメージは、どうやら1920〜1930年代の流行語「エログロナンセンス」によって作られた側面もあるようだ。山室信一の『モダン語の世界』(岩波書店、2021年)によれば、当時、雑誌や広告などの表現媒体の普及とともにいたるところで増殖していたエロティックな表現に新たな刺激を付け加えるものとして、「グロ」は人気になったのだという。たとえばそれは、江戸川乱歩の怪奇小説で描き出されるような、人体をことさらに傷つけ破壊し、その様子を多くの人に見せつける性的な興奮などをさしていた。
乱歩の「妖虫」「孤島の鬼」などの作品はとくにこれにあたるだろう。暴力性や異常性を強調し、それを性の領域と結びつけるような表現のカテゴリーとして、「グロ」は定着していったといえる。
実はこうした日本語の「グロ」の用法はやや特殊で、ヨーロッパ文化史のなかでの「グロテスク」のあらわれかたとは異なるものだ。そもそもグロテスクとは、よく知られているように、15世紀末にイタリアで発掘された古代ローマの地下遺跡で見られた装飾文様に起源をもつ言葉である。植物と人間と鉱物と動物がからまりあい、融合しあう独特のスタイルをもつこの文様は、洞窟や地下室を意味するイタリア語grottaにちなんでグロテスク文様と呼ばれるようになり、以後、ルネッサンス以降の装飾美術の伝統のひとつとなった。
バフチンが展開するのは、これらの文様群が根ざしている美学が、古代から中世にかけての民衆社会のなかで連綿と息づいてきたものだった、という主張である。ひとの生の肉体的な側面を全面肯定するその民衆的な美学は、禁欲主義と精神の崇高さを説くキリスト教会の教えの対極に位置しており、公的な場所や機会では抑圧された。けれども独自の価値を花ひらかせる祝祭(カーニバル)文化のなかでは生きつづけてきた。そして、中世のあいだ長く抑圧されてきた人間性を解放するルネッサンスという時代潮流のなかで、文芸の表舞台に姿をあらわすのである。その代表的作品が、フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュアとパンタグリュエル』であるという。そしてバフチンがそこに見出す「グロテスクなもの」とは、徹底的に陽気で肯定的なものだったのである。
陽気な暁のグロテスク
ミハイル・バフチンは1895年生まれの旧ソ連の文芸評論家で、ドストエフスキーの小説を論じたポリフォニー論などで日本でも広く知られている。グロテスク・リアリズムが論じられるのは、1940年代に草稿が書かれた『フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネッサンスの民衆文化』(川端香男里訳、せりか書房、1973年)という著作においてである。
実のところ「グロテスク」なる概念は、18世紀からすでに、たんなる装飾文様のカテゴリーを超えた美学的テーマとして、多くの作家や芸術家によって論じられてきた。その関心は、個人の自由な感性の解放や内面的感情を重視するロマン主義においてもっとも高まりを見せる。ゴシック小説や廃墟趣味の勃興などとも関連した動きである。たとえばビクトル・ユゴーは『クロムウェル』(1827)の序文のなかで、グロテスクなものを芸術にとって不可欠な概念とみなした。グロテスクとは奇怪で恐ろしく、非人間的なもののことであり、その対極としての「崇高なもの」をくっきりと際立たせる、とユゴーはいう。
エドガー・アラン・ポーもグロテスクにこだわった作家の一人だ。ポーはグロテスクを、美しくあると同時に吐きけをもよおすようなものでもある支離滅裂さととらえており、悪魔的で滅亡をもたらす何かと考えていた。有名な「アッシャー家の崩壊」(1849)を最初に収録した短編集は『グロテスク・アラベスク短編集』と題されている。理性が世界のすみずみを照らしていくかに思える時代にあってなお、その光の影でうごめくものがあって、人間の生をとらえて離さない――。ロマン派のグロテスクが描こうとするのはそうしたテーマである。
しかし、バフチンの論じるグロテスクをこれらと同一視すると、彼の主張を大きくとらえそこなう。むしろ彼は、中世・ルネッサンス民衆文化の非常に重要な特徴が、ロマン主義のなかでは根本的に失われたと主張する。
彼の論によれば、二つの違いが最も明らかになるのは「恐ろしきもの」との関係においてである。ロマン派のグロテスクでは、慣れ親しんだ、身近なものが、突如として意味を失い人間に敵対する感覚が描かれる。肉体は、精神性や理性によってどうしても支配することのできない、理解の及ばぬ衝動をもたらすものとしてたちあらわれる。しかし、民衆文化のなかのグロテスクでは、逆に肉体は世界を親しみぶかいものとして引き寄せるのだ。
さらにはロマン主義的な狂気が「個人の孤立の陰うつで悲劇的なニュアンスをもつ」のに対し、民衆的グロテスクの狂気は広場のような集合的でひらけた場所で展開され、公式の知性や真理の厳粛性に対する陽気なパロディとなる。近代以降のグロテスクがしだいに闇と夜に属するものになっていったのに対し、中世・ルネッサンスの民衆文化に見られたものとは、光を特徴とした、「春のそして朝の、暁のグロテスク」だというのである(p40)。